最新情報
やま連とは
大分市山車文化振興保存会(やま連)概要
団体名 | 大分市山車文化振興保存会 |
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本部 | 〒870-0318 大分県大分市丹生855 |
連絡先 | TEL 097-594-0708 |
設立 | 平成19年6月 |
参加地区 |
市内
16地区
市外
1地区
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会員数 |
117
名
|
目的 |
大分市内の各地区に古くから伝わる山車文化の「繁栄」「保存」「継承」活動を目的とし活動を行っています。
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事業 |
1.大分市の山車文化繁栄に向けてのPR活動 2.各地区との交流会活動 3.行政機関や他団体との交渉 4.大分市に存在する山車文化の保存活動(資料収集、聞き取り調査など)を行い、市・県の指定文化財を目指す 5.各地区青少年の育成活動 6.他都道府県の山車祭りの研修会 7.大分市山車資料館建設に向けて その他、本会の目的を達成する為に必要な事業 |

イベント
活動実績

歴史・文化
大分市の各地域や山車についての歴史や文化を学べる場です。
※情報が整理され次第アップいたします

山車紹介
御殿山車とは… | 唐破風形状の屋根の上に御殿が乗せられた山車。 |
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太鼓山車とは… | お囃子の中心が中台に乗せられた大太鼓となり、御殿のないものが大多数。 |
担ぎ山車とは… | 四角に組んだ形状の物に車輪を取り付け榊・御幣等を飾り太鼓や釣鐘等を積んでいる山車
(鶴崎地区の喧嘩山車は車輪なし)
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新港
三佐

新港山車紹介文
山車製作者:河村辰五郎 河村辰夫
制作年:不明
修理、彩色履歴: 昭和31年 大修理
平成12年 彩色
新港の山車の見どころは全体の姿の美しさです。
山車の形状、色合い等のバランスが良く、山車の欄間や欄干にある彫刻も、緻密で精巧に作られたものとなっています。
また、正面中央にある龍は彫り物の美しさ、迫力もさることながら、雄龍が上、雌龍が下の配置となっているのも特徴です。
これら個々の美しさなど様々な要素が融合し、均整のとれた豪華絢爛な山車となっています。
見て頂ければその良さが分かります。ぜひ実物を見てください。
遠見
三佐

山車製作者:原田巖
山車製作年:平成26年3月 新調
建設にあたっては福岡県の(株)はらだ に依頼し、彫刻等他に例のない仕上がりになっております。
特に遠見地区にゆかりのある中川公参勤交代出港の景および三佐沖での漁の風景を題材とした中欄間の絢爛豪華な彫刻は自慢の一品となってます。
板屋町
三佐

山車制作者:三佐村 橋本 重五郎氏
制作年:明治13年
修理、彩色履歴:平成11年、平成23年
130年以上前に制作された山車であり、三佐の中でも最も伝統ある山車の一つです。
平成11年と23年には全面彩色をはじめとする大改修を行いました。
山車の特徴としては、正面を巻く雌雄一対の龍と、その下で屋根をどっしりと支える力神の彫刻で、鋭い眼光とまるで生きているかのような造形は見る者を圧倒する迫力があります。
また、欄間や御殿周りの繊細かつ優雅な彫刻は風光明媚な四季の風景を鮮やかに表現しています。
この歴史 と伝統ある山車は地域の皆が130年間愛し続け、守り抜いてきた誇りです。
八坂
三佐

山車製作者 橋本耕司
山車製作年 平成19年
平成19年 全面改修(現在)
平成23年 彩色
平成19年に三佐大工「橋本耕司」の手により現在の山車になり、平成23年には白木(彩色していない)であった山車を彩色して八坂独自カラーである臙脂(小豆)色で統一し、アクセントに萌黄色をいれております。
また、山車後部の鳳凰は彫刻・彩色ともに一見の価値がありますのでご覧下さい。
薬師堂
三佐

山車製作者:不明
山車製作年:不明
修理 彩色履歴:不明
布団山車(太鼓台)は西日本、瀬戸内海沿岸地域に多く分布している文化です。
何故薬師堂の山車がこの形状になったのか、歴史的事実は不明であります。
現存している山車は三代目の山車であると言われており、以前の二台も同じ形状を成していたと伝えられています。
歴史的な繋がりがあるかは不明ですが、三佐と縁の深い竹田市にも、同じ形状の布団山車が過去に存在していた事は確認されております。
豪華絢爛な御殿山車等、曳き山車文化の多い三佐において、ある種、特異な文化と言えるかもしれません。
仲町
三佐

山車製作者:不明
山車製作年:不明
明治40年 大修理
昭和62年 大修理
平成16年 彩色
また四本の金の柱をはじめとして、山車の至るところに金箔を施しており、その絢爛豪華な輝きは昼夜ともに見栄えのある美しい姿となっています。
この歴史ある山車を命懸けで守り、受け継ぎ、勇壮に曳き続ける事こそが仲町の誇りであると思っています。
仲村
三佐

山車製作者:
岩崎 栄 三浦 紘一 橋本 耕司
山車製作年:平成25年新調
平成24年より戸主、青年、有志の方々が一丸となり山車の製作を開始し、平成25年3月に晴れて三佐の7台目の人形山車として完成しました。
元々は岩崎栄氏が製作・所有していた太鼓山車でしたが、三浦人形店の三浦紘一氏、橋本耕司氏の手により御殿人形山車として生まれ変わり、現在に至ります。
上記三名はこの平成の時代において三佐地区のみならず大分市内の数多くの山車の製作や修繕などに携わっており、仲村人形山車は平成の三佐大工の力を集結した、まさに平成の三佐人形山車と言えるでしょう。
仲村人形山車の一番の見所は、橋本耕司氏の力作である正面蛙股から正面欄間にかけての「漁翁弥藤次と蛸」の彫刻です。
弥藤次とは、かつての三佐沖での漁の途中に海中から光り輝く石を拾い上げ、その石を御神体として野坂神社に奉納した仲村地区の人物であるとされており、この彫刻はその時の漁の風景を題材としています。
その他にも御殿廻りの麒麟、龍、幼獅子などの彫刻や、三佐地区と縁深い岡藩竹田の風景をデザインした見送り幕なども見所です。
まだまだ歴史の短い山車ではありますが、仲村地区一丸となってこれからもこの素晴らしい山車を守り続けていきたいと思っています。
大村
三佐

山車製作者 河村辰夫
山車製作年 昭和32年
昭和60年彩色修理(屋根修繕他)
平成16年彩色修理(柱・土呂台・屋根取替他)
製作にあたっては、大村地区の大工数人も棟梁の下で製作に携わったとの事です。
野坂神社春季祭典に於いては御神輿の御供山車として参加しています。
特に発輿祭での鳥居を潜ろうとする御神輿とそれを阻止しようとする大村とのせめぎあいは大変見応えがあり、毎年多数の観客で賑わっています。
本町
三佐

山車製作者:不明
製作年:大正15年
修理、彩色履歴
昭和53年 白木→全面彩色
昭和62年 大改修
平成14年 柱交換、欄間を透かし欄間へ
平成21年 全面彩色
本町山車の特徴として、一つ一つの彫刻の彫りが深く、男龍と女龍が互いに向き合っています。
以前の欄間は、松、竹、梅でしたが、改修と共に現在は源義経の物語が施されており、一の谷の合戦、壇ノ浦の合戦、道行初音旅、川連法眼館が事細かに施されています。
透かし欄間は、葡萄とリスで、山車に灯りがともると葡萄の葉が絶妙な色合いを引き出し、山車をより一層美しく魅せてくれます。
また、欄間の裏面にも彫刻と彩色を施しており、舞台の上の人形を美しく彩っています。
葡萄のつるで【ほんわか】と字を施すなどした、欄間の隠し細工も魅力の一つと言えるでしょう。
御殿廻りには、虎、亀、飛竜の彫刻があり、彫刻の立体感は三佐でも随一で、そのどれもが今にも飛び出してきそうな勇ましさをもっています。
裏町
三佐

製作者 不明
製作年 不明
修理彩色経緯 平成18年 大改修
装飾は派手ではないながらも主張し過ぎず、人形の生える厳かな装飾があしらわれています。
平成18年の大改修にて軒障子の形状等を変更していますが、そのほかに関しては大まかな形の変更はおこなっておらず、渋く深みのある趣が感じられる山車です。
大正時代のものと思われる古い写真に、現在の山車とは形状、装飾等の違った裏町の山車が写っています。
そのため、現在の山車とは違う山車とも考えられます。
裏町の山車は制作年、製作者ともに不明の山車であり、過去の修繕、作り直し等も謎であることが多いですが、そこにミステリアスな魅力を感じる素晴らしい山車です。
菰田
松岡

上・下
松岡

成松
松岡

尾崎
松岡

門前
松岡

眞萱
松岡

一丁目
牧


御所車
毛井

山車
毛井

太鼓山車
三川

上
三川

下
三川

金若
三川

坂ノ市
坂ノ市

細
坂ノ市

本町
佐賀関

西町
佐賀関

南
高田


花高松
高松

高松小山車
高松

高松大山車
高松

新高松西
高松

新高松東
高松

御船組
向原

前組
向原

大東組
向原

本社附
向原

仲村
葛城

向
葛城

東門
葛城

角子原


上組
皆春

中組
皆春

中島
皆春

町組
皆春

一号車
家島

二号車
家島

三号車
家島

御供山車
家島

上浦
一尺屋

下浦
一尺屋

横塚


横田


中筋
横尾


屋山


乙津


下志村


